四季のいやし ヘメロカリス

四季のいやし ヘメロカリス

 「花と庭」、で思い出す 遠い昔の、実家でのある出来事。   私が物心ついた頃の実家の庭は、ほとんど
農家の作業場と言ったほうが正しいかもしれない。

 竹林に杉の木とケヤキの木、ついでに栗や、柿の木、梅の木と全てが実用向きで、当時の貧しかった生活
が偲ばれる。  花木というにふさわしいのは、キンモクセイとナンテン位しか思い当らなかった。
住人は皆、花より団子で、団子より花は、私一人位で異色であった。

 そんな、実家での幼少の頃、花好きの私は柿の木の下に、「マイ花壇」のスペースを作って楽しんでいた。
花壇の中は野の花が多く、たまに遊び友達に分けてもらった、古いスイセンが一株あった。

 ある日、私は大きな山ユリが一本ナンテンの近くに、植えてあるのを見つけたのだ!!
「見るや、目はクギづけ!」、 花っけのないお粗末な庭では,一りんの山ユリは、目立ちすぎる位眩く見えた。
花好きな私が黙っているはずがない。  さっそくスコップで掘り起こし、マイ花壇に移動となり、私はしみじみと
花の美しさに見とれていた。

 安らぎの時は、瞬時で終わってしまったのだ。 祖父が仕事から帰るや否や、雷のように私を怒っているでは
ないか。  祖母は本当は、花好きだったのだが、花を愛でている暇も、金もなく、草津温泉に行った帰り道
道の端に生えていたのを、祖父がやっとの思いで手で掘って、祖母にプレゼントしたのだろうか。

 実家のご近所は、ほとんどが農家である。  終戦後、間もない昔々でも、周りのお宅には、大・小 の坪庭
というのがあって、何かしら咲いていた。 花好きな私は 「いいなあ!!」 と、いつもため息だけが出ては
終わり、頭の中はお花の事でいっぱいの毎日だった。

 今でも感動した花々が、まなこによみがえる。  西の小川ぞいに、クロコスミアが咲きみだれ、秋には南の
道路ぞいに、菊の花が香りをただよわせていた。  その前の家は、庭中のマツバボタンで、心感動し、
その隣は大輪のアマリリスの花で、私はいつも魅了されていた。

 仲良しの遊び友達の家に行くと、お父さんが教師で花好きで、庭中花だらけ、まさに別世界であって、私の
心をいつもとりこにしていた。  私はしばし行くたびに、心癒され、その映像は今も頭の片隅に残っている。
幼き日々の私に、感動と生きる夢を与えてくれた庭だった。

 マイ花壇は、相変わらずひっそりで、野原に咲いていたコスモスを見つけ、感動しながら植えていた。
ある日、 キキョウの花を見つけ、つぼみをパチンとおすと幾何学的な花が咲き、なんとも不思議に思えた。
子供の頃の懐かしの一シーンであった。

 歳月は風と共に去り、まさに光陰矢のごとしである。  昨年のことであるが、たまたま実家へ行ったとき、
下の弟が来ており、珍しく姉弟3人で雑談になった。  しばらくして、庭談議が始まったのだ。
ストレスの多かった校長職から無事に解放された弟は、今ガーデニングとやらを始めたというではないか。

 もうその話に話題が移るや否や、心はワクワク、夢のようで実に楽しい。  弟の広い庭は、芝一面で
中心に花壇があり、バラとかを植えて、いまだ拝見してはいないが、今時のイングリッシュガーデン風に
憧れているのかなー! と、木は一本もなく広々としていて、気分が爽快らしい。今までの分、ストレス解消
にあやかってなのか。

 私はそこで、口をはさんだ、「木もいいわよ!!」 夏は樹陰ができるし、下にベンチでも置けば、コーヒー
タイムもつくれるわよ!! と、でも弟は面倒だからいらないと言っている。
実家を守っている弟は、おれは京都の和風庭園みたいなのが好きだと言っている。修学旅行で感激をした
のだろうか。  石と松がかもしだす和風のワビ・サビである。 この風情に心の癒しを感じたのであろうか。

 話は続く、花好きの庭はなんでも「ゴチャ・ゴチャ」と植えてあるので、俺はあまり好きではないと言っている
ではないか。  私は 「ふ・ふっ」 と、心で笑いたくなった。  何と言ってもその花好きな代表みたいなのが
私自身なのであるから。

 私は二人の弟の癒され方は、ごもっともだと思う。 一面の緑の芝生に真中にお花が咲いている。想像する
だけでも心癒される。 また、京都の和風庭園にも静寂なたたずまいから、心に平安と癒しをいただける。
人はそれぞれの好みに合った癒しの庭でよいのだと思う。

 姉弟でも、妥協を許さないのが、私の天性の花好きである。 私はデザインも重要ではあるが、それ以前
に花や木のそれぞれが持つ香りや、特性に魅了されるのである。  よって好きな花や木には、毎日会い
たいし、一年中四季を通じてお花と触れ合いたいのである。

 2人の弟とは、そこが全くもって違い、どちらかというと、 花いっぱい、木々に埋もれているようなマイ
ガーデンである。
私は元来高原の雰囲気が好きで、狭い庭の中に木々をたくさん植え、下には山野草や、様々なお花が
絶え間なく咲き続け、木々を通り抜ける風が高原の爽やかな風になるようにと、この地に家を建てる際に
庭のデザインも同時に考えていたのであった。

 食事も 「和・洋・中」 と、なんでもいただく私は、お花はなおさら 「和・洋・中」 に、こだわりがない。
花好きな私にとっては、好みの花や木ならすぐ仲良しになれるのである。 
よって、マイガーデンは伝統的な和風だか、今時の洋風だか、区別のしようがない。 いわゆる日本人でも、
西洋人でも、気が合えば一緒に一つのガーデンにいようね! っていうような感じだ。

 日本には昔から、貴重な趣のある木々がたくさんあるではないか。  「桜・梅・モミジ・椿・ツツジ」 等々、
私は大好きである。  彼らを芝の周りに植えても意外にさまになり、また、彼らの間に西洋の木々を混植
しても、ハーフのお庭といった感じで、とても清々しさを感じる。

 洋風はイングリッシュガーデンとか、和風は京都のお庭のように、というようなこだわりが私には全くなく、
よってマイガーデンは自由発想の、のびやかな姿であって、私は一年中心癒されるのである。

 2月の終わり頃、何となく春の気配を感じる 「朝もや」 この頃になると 「春よ来い・早く来い」 と、
待ちわびるかのように、つぼみのふくらみを感じる。 木々は季節の移ろぎを、自然の中にいち早く感じ
とっていく。 暖かい部屋の中へいる人間よりも、敏感なのである。

 早春を迎えようとしているガーデンは、ロウバイや紅梅・冬スイセンなど、様々な香水の空気で深呼吸し、
ホットコーヒーを片手に持ち、毎日恒例の一回りが始まるのである。

 「地面が少し浮いている! 確かこの下はクロッカスか、またはヒヤシンスかな!!」
と、いろいろ想像する時も、また楽しい。 あちらこちらに、クリスマスローズが下を向いて、可憐に咲いて
いるではないか!!  春の庭は癒しとともにエネルギーを与えてくれるのである。

 さて、新緑のシーズン到来となると、もう数えきれない数々の花々が、毎朝私を待っていてくれる。
「おはよう! ワアーきれい!! ステキよー!!」  っと、あっちを向いたり、向こうのほうを向いたり、
一回りするのに一時間はかかる。

 冬の間、足腰が弱まってきている私は、歩く時間が増すにつけ、ふらつきが少なくなってまさに一石二鳥
である。 心も癒され、足も徐々に鍛えられ、夏の忙しい前の準備体操のようなものでもある。

 ガーデンでは ボタン・シャクヤク・アイリス・バラ・桜や椿 等々、様々な花木が宿根草や球根と美の競演
で、庭に出るとオーケストラバンドでも見ているようである。 私の年間の行事である作業も、一段と忙しさ
を増し、何かと心せわしくなる日々でもある。

 夏の始まりと共に毎朝 1500種ものヘメロカリスが、次から次へと咲き始め、私の体内時計はワクワク
で、徐々に早起きになり、夜中に目覚めると 「今日は何が咲いているかしら!!」 と、早く外にとび出て
行きたいのが先行し 「オチ、オチ」 と、寝ていられない。 よってこのシーズン到来はニワトリのように、
早寝早起きとなる。

 また、雨がシトシト降る日のアジサイの列植も、美しい配色で、日陰を明るく演出してくれ、感動と楽しさ
で、心の奥まで癒される日々なのです。

 いよいよ夏本番と共に、樹陰が恋しくなる。 私はホームガーデンの片隅にある木陰に、サマーベッドを
置きしばし休憩をする。 心身共に疲労困ぱいの体は、何とも言えない安らぎを覚えるのである。

 大木が作る木陰は温度も低く、目にはグリーンの芝が優しい。 風もスーっと通り抜け何とも爽やかな
ことか。 疲れた私は自然と、エゴの大木に垣間見える大空を見ていた。

 青空に白い雲が流れているではないか。 私は雲に向かってつぶやいた。
「雲さん、私も最近は疲れる年になってきましたよ! いずれあなたに乗って遠くの世界へと、
お世話になる時も来るのね! でも、まだまだ私はこれからよ!!」
と、言っているうちに、雲は遠くに流れて消えてしまった。 暑い日の一瞬のことであった。

 暑さでバテバテになった頃は、初秋が恋しい。 虫の音と共にリコリスの花が涼しさを誘い、絶え間なく咲き
続けるムクゲの列植が、淋しくなったガーデンに華やぎ、気力と安らぎを与えてくれる。

 風もぬるま湯から爽やかさに変わり、天高くまさに私の大好きな高原のようである。 私は特別に秋に癒さ
れる。 それは、笑顔の少ない苦しみと哀しみの 「長い、長い 道のり」 を物語っているのだろうか。
主人は春が一番好きだと言う、、、、、。

 秋も深まるにつれ、人とは贅沢なもので過ぎ去った夏がなぜか恋しい。 思い出すと猛暑と酷暑の日々
だったのに、人の心とは不思議である。 秋は心も体も軽やかで、作業をするにも楽である。

 少し淋しくなった心は、色とりどりのサザンカのアプローチを往来するたびに、なぜか癒され心は温かく元気
になれる。

 やがて、晩秋の終わりごろは、紅葉が哀愁のオーラを放つ。 一年の役目を終え、翌年の新芽に命をたくし
散る前に パッと、艶やかな色に染まる。 チラホラと少しずつ散ってゆき、最後は風と共に バサッと、全て
が落ちる。

 なぜか、人の世と重なるが、人は散る前に パッと、艶やかになれるだろうか。
大好きな歌 「枯れ葉散るーーー」 と、心で歌い、私はしばしベンチで見とれていた。

 やがて師走も半ば頃になると、徐々に寒さも増してくる。 サザンカの列植とバトンタッチで、寒椿が咲き始
め、冬本番の寒い北風から我が家を温かく包み込むように、西側と北側に赤い花が次から次へと咲いて
くる。 ろう梅と冬スイセンも香りを漂わせ、寒い冬も寒椿と、ろう梅に寄り添い心も体もホットな明かりで
灯される。

 真冬でもガーデンに出て、ホットコーヒーを飲みながら 「コートの襟を立てながらーーー。」
と、哀愁ただよう気分で、私は心癒されるのである。
四季を通し、癒しを与えてくれる、温もりの手作りガーデンを、私は心より愛している。