兄の旅立ち

高くすみわたる青空、爽やかな風そよぐ10月、小春日和にやさしく包まれて兄の旅立ち(社そうの儀)
は、壮厳に行われた。   夫と私は、早々と会場へ着いたのだが、早くも大勢の人々で雑踏していた。

係員に誘導されるままに、白菊の香しい所へと、足は進む。入口より中へ入ると、そこは白菊がかもし
だす静寂な香りと夢の世界、しばし足を止めこの世では出会えない、不思議な情景に身も心も包まれて
いた。

香りに誘われるままに、大式場へと歩む。 なんと全てが白い幻想的な夢の空間、正面を見ると真っ白
い丘が小高く見える、菊で作り上げた芸術品のようであった。その真中に兄が笑顔で見下ろしている。
しばし、耳を澄まし足を止める。 先ほどから癒しのメロディーに空気が染まっている。

片隅で、生バンドが演奏していたのだ! 私は振り向き、兄の御霊に一言かわした、 「この世に生れて
から、今までの厳しい道のりが、この安らぎのメロディーと香りに包まれているんだよ!!」 と、この世
の全てのものが兄の旅立ちを見送っているようであった。

別室に思い出の写真室があり、希望に燃え海外へはばたいていた姿、群馬大工学部での講演活動、
等々・・・。 孫たちに囲まれあふれる笑顔、私の姿も一枚見つけた。 赤城山で両親、兄弟、みんなで
集まった時のものである。  懐かしく写真に見入っていると、司会者の声が聞こえ足早に席に座した。

プロの司会と共に、静まりかえった式場に、群馬県知事(そう儀委員長)のあいさつと弔辞が響き渡る。
立派な方々のお言葉に兄は、身に余る光栄で心より感謝していたでしょう。 最後に高校の同期、
弁護士S氏の番が来た。S氏は兄の中学時代からを知る人物であった。 その内容に私の目からは
しずくとなって涙が落ちてやまない。

遠い昔、実家で苦労を共にした頃が重なって見えるのであった。  S氏は兄の御霊に向い話し始め
た。   「キミとボクとの付き合いは中学3年からだった。 キミが采女中の生徒会長で、ボクが赤堀
中の生徒会長だった。 振り返るとずい分と長 い付き合いだね。 それからお互いに、農家の長男とい
う事で、佐波農に入り、時々赤城山を見ながら、2人で将来の夢を語り合った。
そのせつな  「少年よ、大志をいだけ!」  が、スーッと通り過ぎた。 そして、卒業後2人で家出を
決行、大きな志と共に、わずかな金と重い米を持って、上野駅に着いた。
ところが人生そう甘くはなく、あてもなくオレたち2人はさまよい歩き、 とうとうここで死ぬのか!!
と、思った夜もあった。」  と、言う。

兄はその後、父に見つかり家に連れ戻された。  再度企てては、またも連れ戻された。 その頃の
私は中学生になっていて、たまたま兄の家出を見ていたのだが、父には知らぬふりをしていたので
あった。  兄は新聞配達でもして、大学へ行き、政治家を志していたのであった。
兄の大きな志は無念にもシャボン玉のように、はじけて空のかなたへ飛んで行って、本当の夢となって
しまった。   むなしく、はかない青春時代よ!!   S氏は幸いに親の理解のもと大学へいき、弁護
士になれたのであった。

司会もプロの一流となると、さすがに驚きで感極まる。  「あまたの弔電」  が、長だの参列者の最後
まで続く。  一言も間違えず、次から次へとテープの早回しのようである。
その読み上げは   「内閣総理大臣・・・・・」  から始まった。
そのせつな、遠い昔、祖母の言葉が脳裏をよぎった。  兄はたった4才の時に   「俺は、総理大臣
になるんだ!!」  と、言い祖母はうれしいどころか、動揺して父に知らせたという。
当時、長男は農家の後継者として宝であり、父の希望の星でもあった。
「たかが4才」  夢でも見ているのかと笑っていたのだ。

やがて歳月は流れゆき、幼児のたましいは夢で終らず、本物となっていく。 兄は小学一年生から学ぶ
のが大好きであった。  父の心は 「もしや?・・・・・」  と、思ったのか徐々に警戒態勢に入る。
学校を休ませては、農家の仕事を強制した。   その後、兄にとっての試練は、ますます厳しくなり、
学問がしたいと言えば、父に殴られてばかり、  中学生になった兄は志もいよいよ強く、
「俺は、Tさんのような高校を出て、東京の大学へ行きたいのだ!!」   と、・・・・・。
怒った父は、  「お前は、まだわからんのか!!」   と言って、  ご先祖様の位牌をもち出し
兄の頭と体を殴りつけていた。

「Tさんとは実家の新宅の方で、父とはいとこであって、生活にも親にも恵まれた身上の人であった。」
軍隊上がりの父は、 それはそれは、 ドラマの修羅場のシーンのようで、  小学生だった私は怖くて
障子のかげで、目をふさいでいた。  私が一言でも言おうものなら、女の子でも容赦などしなかった。
あの時の父は、  「宝の兄に出て行かれては大変だ!!」  の、一念で親子の無償の愛とやらは、
もはや心に存在しなかったのだろう。

一方的に幾たびなぐられていただろうか。  微動だにしない平常心の兄は、泣かず、逆切れもせず、
ただじっと、耐えて、こらえていた。   「行く末の 我が道夢見、今は負けじ」   と。
いつも冷静であった兄の姿が、今は涙をさそう。  かわいそうに、理解ある父のもとに、生をうけたな
ら大そう喜ばれて、4才児の小さな芽は、大きな志として すくすくと、まっすぐに伸びていっただろうに。
昔に戻った私の心は、涙であふれていた。
兄の夢はつぶされて、次から次へと押し寄せる大波にのみ込まれ、結婚を機に、 とうとう本当に、家を
出てしまったのである。

第一の志はあきらめ、第二の志をいだいて、現在に至っている。  それは、それは、一言では言えない
厳しく荒れくるう大海に、ちっぽけな一そうの小舟が、必死で浮いている姿。
でも兄は  「負けるものか!」  と、次から次へ、事業を展開し無我夢中で前進するあまり、横や後ろ
が盲目になった時もあったに違いない。
中国、タイ、ベトナムと、あらゆる方面にて海外進出し、本業のかたわら、 講演の依頼があると喜んで
引き受け、自身は農業高校しか出ていないのに、 高学歴の大学生を目前に、
「我が人生観を度々、述べている。」

いつも兄は無口な人で、他の兄弟のような雑談は苦手なのだ。  そばで笑って見ている。
「良くしゃべるなあ!」  と、言いながら、俺は5000人〜1万人以上の大衆のほうが話しやすいと言っ
ていた。   兄の講演会の文の中で、印象に残っているのが、
「人生、カンオケのフタを閉じるときが、最後の勝負である。」   と、言う文面がある。
私は兄の遺影に向かってつぶやいた。   「今日の、この壮厳な儀のことでしょう!!」   と、
私のテレパシーに兄がニコリと微笑んだ気がする。

次から次へと、兄にたむけられる白菊は絶え間ない。   兄の人生は 人の3倍、いや5倍位の労力を
使ったかもしれない。   息を引き取る前日まで、仕事のチェックをしていたのである。
(病と闘いながらも、)   大半の人々は70才も超えると、趣味や娯楽にと、時を費やすだろうに、
分刻みのスケジュールで忙しい兄は、  天に昇る直前まで、懸命に働き続けた。
人の限りある命と時間を、ひとつも無駄にしなかった  73年の生涯であった。
息を引き取ってからの兄の表情は、生前とは異なり、みるみる戦国時代の武士のように変わってしまっ
た。   「俺には500人余りの社員がいる、使命はまだまだこれからだ!!」   と、言っているようで
兄の心情を偲ぶと、わびしく、切ない。

大勢の人々の兄へのお別れは、何時間続いていただろうか。   気が付くと 又 あたりはシーンと
一面、白い夢の世界へと戻っていた。  兄の御霊に安らかなることを祈りながら、式場を後にする。
家路に向かう車窓の中、遠くの空がぼんやりと見える。
そのせつな、  「あ!!  二ノ宮金次郎さん!  赤城山の空を見やり、一人、悲しく別れをしている
姿。本の上に涙をポタポタ落としながら。」
兄の人生は、晩秋の紅葉のようである。  酷使した体は除々に傷つき、気魂だけは最後の一瞬までも
失わず、パッと、  憂愁の美と共に、与えられたこの世に別れをしたのだろう。
又、翌年芽吹く、たくさんの小枝に愛と魂をやどして。