父が鉄人になるまで

ヘメロカリスのヒロコの父

「つっかい棒が13本ヤーイ!!」と いじめられた幼き日々、父の幼少時代は今よりも、もっとひどい格差
社会であった。 その上今のような福祉制度は一つもなく、何の救いの手もない時代に生を受け、懸命に生き
抜いた姿は、小さなアリのような幼い日々であった。

金持ちになった大地主が町や村を支配し、殿様のように日々優雅で恵まれた生活をし、今のような税制度も
なく、財産はどんどん膨れ上がり、弱者を助けるすべは何一つなし。

当然 裕福な人達はアリの人達を見下しバカにしていた時代である。  今の世がどれだけ公平で、恵まれた
社会になったかがうなづける。 貧しい人々は医者にもかかれず死に絶える。 風で飛ばされてしまうような
ほったて小屋に住み、野良犬や野良ネコのような生活をしなければ、生きてはいけない。 自力でしか生きら
れない、そんな無情の世を父は生き抜いたのである。

大地主から土地を借りて暮らす、水飲み百姓として、その日を食するのがやっと。 今は農地の小作料はただ
同然なのに、昔は高かったのだろう。ワラぶき屋根の小さな家は、修理代もなく強風に飛ばされないように、
つっかい棒が何か所かしてあったのだ。 今風のすじかいのようにね。
大金持ちの悪息子たちに、バカにされ、いじめられた幼いころの父を思うと、私の心は母親のように涙があふ
れてくるのです。

でも父は、泣きもせず、あきらめもせず、働きながらも学問の好きな小学生なのだった。 それは、それは、
言葉では説明のできないような兄や私よりも、もっともっと、みじめで過酷な幼少期を過ごしたのであった。
父の姉(叔母)は、10才位になるとせっせとハタオリをし、家族の生活の足しにした。
暗いハダカ電球が一つしかないので、叔母のハタオリが優先であった。 夕方暗くなるまで祖父と働き、夜の
少ない時間に本を開いたという。

口数の少ない父がポツリと言ったことがある。 「姉が夜なべをしてハタオリをしているので、明かりを求め
て開く本の上にバタン、バタン、の音と、ともに暗い影が行ったり来たりして字もよくは見えなかった。」
と、当時を懐かしむように。 どんなに貧しくとも子供たちも協力して助けあい、生きていかねばならないの
でした。小学生なのにクワをかつぎ、田畑を耕しやがて実りの秋を迎える。 さぞかしおいしいであろう新米
は、小作料として納め、親子で食するのは少しのお米に、麦やイモでカサをを増やす。 いわゆる自給自足の
「菜っ葉とコウコ」 であった。

こんな時代に、夫の父である義父は、大地主のお坊ちゃんとして財宝の中に生まれ、夢のような生活で兄弟で
テニスを楽しみ、上等なピアノもあったという。 当然ながら東京の私大(W大政経)も出ている。
貧富の差もはなはだしい。  この頃、貧しい少年だった父の魂に、小さな志が芽生え、だんだん大きな志と
なっていくのです。「オレも土地がいっぱいほしい、土地さえあれば命の限り働ける。 さすればビンボウ、
ヤーイ、とバカにされないのだ。」

こうして、父は小学生の頃から、祖父と少ない田畑を耕し、土方仕事が見つかると、今のアルバイトのように
働き続けた。  父は小学校しか出ていないのだが、5〜6年生の頃、今でいう書道の教科があり、担任の先生
が講道館で、開催される全国大会に、父の作品を出展してくれたのでした。
父は全国で2位の準優勝に輝き、先生は父に、 「タカハシ、書の道へ進め! 東京に立派な師を紹介する
から。」 と、 その時の父はまだ小学生、一瞬貧乏な我が身など忘れてしまい、小さな心は夢と希望という
喜びにあふれていたに違いない。

父は飛ぶように家に帰り、母である(祖母)に話したという。  賢い祖母は、嬉しそうに志を語る父に、
「ワタルや、書道では食べてはいけんよ。 書道や、学問は、金持ちのお大臣様のすることだよ。 貧乏人は
アリのように働かないと、その日が暮らせないのだよ。」 と、確かに金持ちは有り余る財宝にシルクで身を
まとい、学問も自由自在になしえる。
祖母に諭される父は、涙は見せずとも心の中は、少年の男泣きだったのだろう。  我が子を諭している祖母
の心情は、悲痛な泣き声をあげていたかもしれない。

父はその時の自慢の書をくるくると巻いて、唯一の宝物のように、大切に保管はしていたが、私が実家にいた
時は一度も見せず、知らせずでした。「学びより働くこと」 を、重要視していた父にとっては、書の作品は
子供たちの目ざわりになるのだろうか。 それとも貧乏に泣いた少年が再現され、あまりにも切ないからなの
か?  私が実家を後にし夫のもとへ嫁ぎし十年ぐらい後に、父はくるくると巻かれた宝物を見せてくれた。
”なるほど” 、全国2位に輝いた作品であった。

父は得意な学問、書道の全てをあきらめた、無念な心の中にある志がかけめぐってくる。
「少年よ! 大志をいだけ」 である。 小学校卒業とともに猛烈に働きだした。 「貧乏だと人にはバカに
されるし、学問も何もかも成し得ない。 その日暮らしがやっとだ、オレはそんなドン底から抜け出たい!」
と、  哀れな少年の思いはやがて大きな志となって、「鉄人のように」、 命をかけて働きだす。
大ピンチが父をより強くし、違った道をたくましく歩いて行くのでした。

「私は思う。」 この時、今のような奨学金制度や様々な福祉が充実し助けてくれたなら、父はまた違った道
を歩いて行き、鉄人にならなかったかもしれない。  私が子供の頃、自慢の宝物を見せなかったのは、子供
たちにも、働く精神を体で教え、貫くためだったのだろうか。家族で力を合わせ、猛烈に働き続け、父が青年
期を迎えた頃は、贅沢は禁物だったが、おなかいっぱい食べられるようになったのです。
そうなるまでには、たくさんの夢が空の彼方へと消えてしまったのだろう。  父の精神は、人の3倍働き、
徹頭徹尾の、質素倹約、であった。

そんな貧しい田舎の青年を、天でジーッと、見ていた神より、一つの恵みをいただいたのです。
父は、境町(旧采女村)より、一人近衛兵として選ばれたのでした。皇居にて、天皇様をお守りする役目でし
た。 今までの人生は家族を守るために、何もかも捨て働くのみの日々であった。 父の胸中を察するに、
余りある光栄と心は感動し、今までドン底生活に負けず、あきらめたりキレたりもせず、いつも胸を張って
堂々と生きてきたのが報われたのでした。  父は平成26年、9月、93歳を目前に天へと旅立った。

その百か日の供養の時に、義姉(兄嫁)が、初めてもらした言葉、  「あの書道の全国大会の時は、ワタル
じいちゃんが2等賞で、私の姉が1等賞で、文部大臣賞をいただいた。」  と、言っている。
「寝耳に水」とは、こういうことを言うのだろうか。私はビックリ仰天し、「エー、お姉さん、それ本当の話
なの!」  と、聞きなおした。  兄と兄嫁とは、ハトコなので、いわば同じ血脈なのである。
父が口を閉ざしていた原因の一つが解明したような気もしてきた。 同じご先祖様の下にいる同志が、1位
2位、を争ったので、少年の父は、複雑に心砕けたのだろう。

「同じ年頃の、親戚の、しかも女性に負けた。」 と、もしも1位の人が他人で、しかも、北海道や九州の人
ならば、2位になったと話してくれただろうか。清書以外は全て新聞紙で練習をし、少ない時間で書き上げた
のだろう。 皆が書く時間は働いていたのだから、書道塾にも通っていた金持ちの子供たちは、全国にはいっ
ぱいいただろうに。「オレだって、時間と用紙さえあれば!」と、今は天に昇りながら、言っているようだ。
「私は、父を褒めてあげたい。よく頑張ったね! 娘の私は良き理解者だよ! 安心して天に昇って行って
ね!」 と、空を仰ぐ。

終戦とともに帰って来た父は軍隊で鍛え抜かれ、鉄人から人間発動機へと変わっていく。(村人達の悪言)
そんな父に、私たち兄弟は、軍隊のように、鍛え抜かれていくのです。